千束一里塚

【せんぞくいちりづか】

旧北陸街道に設置された一里塚である。かつては道の両脇に塚があったが、昭和24年(1949年)に東側の塚が取り壊され、現在は西側のものだけが残っている。この一里塚には、「千疋狼」説話の類型である「馬面の赤猫(ばべんのあかねこ)」伝説が残されている。

千束の一里塚のあたりで、旅人が何ものかに喉笛をかみ殺されるということが度々起こった。加賀藩のある侍が、正体を見極めてやろうと一里塚の欅の木の上に登って様子を探ることにした。夜更けになると、どこからか数匹の猫が集まって踊り始めた。そして「“ばべんのばば”はまだか」と言い出した。やがて金津の宿の方から大きな赤猫が現れた。猫たちの様子から、あれが“ばべんのばば”であるのが分かった。しかしふとしたことで自分が木の上に潜んでいることがばれてしまったらしく、猫が樹上を見上げて威嚇を始めた。そのうち“ばべんのばば”が木を伝い登りにじり寄ってきた。侍は脇差しを振り下ろすが、固い金属の物に当たっただけであった。さらに数太刀浴びせると手応えがあり、叫び声を上げて猫たちは逃げ散ってしまったのである。

翌日、侍は金津の宿場町へ行き“ばべんのばば”について尋ね廻った。すると“ばべん”は「馬面」という人の名であり、その家には赤猫が飼われているのが判った。侍は馬面家へ行き、事情を話した上で飼い猫を斬り捨てたのである。飼い猫の背中には生々しい刀傷がついていたという。その後、祟りを恐れた人々が白山神社を建てたとされる。

『日本の伝説』によると、旧・金津宿には「馬忠」という呉服屋があり(同花乃杜地区に現存)、その隣に馬面家の本家が営んでいた宿屋があったとのこと。

<用語解説>
◆一里塚
慶長9年(1604年)、江戸幕府の命によって、日本橋を起点に一里(約4km)ごとに設置された、土盛の塚。千束一里塚は、越前藩の結城秀康によって設置された、

◆千疋狼
夜に狼が樹上に隠れる人間を、リーダー格のものを中心に肩車などをして襲おうとするが失敗。後日、その時に呼ばれていた名前が元で正体がばれて退治されるというストーリー。

アクセス:福井県あわら市花乃杜