證誠寺

【しょうじょうじ】

「日本三大狸伝説」と言えば、上州館林の“分福茶釜”と伊予松山の“八百八狸物語”、そして木更津の“證誠寺の狸囃子”となる。證誠寺は江戸時代初め頃の創建、木更津では今なお唯一の浄土真宗の寺院である。狸囃子の伝説も比較的新しく紹介されたもので、明治38年(1905年)に松本斗吟という人物が地元文芸誌で紹介したのが最初という。しかしその名を一躍有名にしたのは、当地を訪れた野口雨情が大正14年(1924年)に『証城寺の狸ばやし』という名の童謡として発表したことによる。

ある秋の夜のこと。住職は外の騒々しい音に目を覚ます。庭を見ると、大勢の狸がお囃子をしながら踊っているではないか。驚いた住職だが、そのうちそのお囃子の調子に合わせて踊り出す。すると狸も負けじとお囃子や踊りをして、とうとう夜が明けるまで競争になってしまった。

翌日も、その翌日も月夜の晩に住職と狸は歌や踊りに興じた。しかし4日目の夜、狸達ははとうとう夜明けまで現れなかった。住職は不審に思って辺りを調べてみると、いつも腹鼓を叩いていた一匹の大狸が腹の皮が裂けて死んでいた。そこでその哀れな狸のために塚を築いたという。それが今に残る狸塚である。

<用語解説>
◆野口雨情
1882-1945。詩人であり童謡作詞家。代表作は『シャボン玉』『赤い靴』『七つの子』など。『証城寺の狸ばやし』は中山晋平が作曲をしている。“証城寺”という名称となっているのは、実在する“證誠寺”とは違う架空の寺院とする意図があったらしい。

アクセス:千葉県木更津市富士見