十寄神社
【じっきじんじゃ】
矢口渡での新田義興謀殺の際に従っていた側近は、全部で13名。そのうちの3名は果敢にも向こう岸にたどり着いて討ち死にしたが、残りの10名は義興公と共に、沈み行く船の上で自害して果てたという。この10名の側近が祀られているのが、この十寄神社である。
当然のことながら、この神社の祭神はこの自害した10名である。その名は神社の入り口に掲げられている神社の由緒書きにも記されており、世良田右馬助義周、井弾正左衛門、大嶋周防守義遠、由良兵庫助、由良新左衛門、進藤孫六左衛門、堺壱岐権守、土肥三郎左衛門、南瀬口六郎、市河五郎の10名であるという (ただし人数については諸説あり、土肥・南瀬口・市河の3名は向こう岸にたどり着き奮戦した者である、あるいは松田与市、宍道孫七を加えた12名と義興本人で13名とするなどの説もある。いずれにせよ、この程度の人数であったのは確かなのだろう)。
“新田神社へ願掛けへ行く前に、まずこの十寄神社へ行ってお願いしないと、願いは叶わない”という。独立した神社ではあるが、新田神社との関係は生きていた頃と変わらないと言えるだろう。
<用語解説>
◆新田義興
1331-1358。南朝の武将である新田義貞の次男。足利将軍家の不和に乗じて1352年に関東で挙兵し、一時は鎌倉を攻略する。足利尊氏死去直後に謀殺される。祟りの顛末については、平賀源内によって書かれた『神霊矢口渡』という歌舞伎芝居でも有名となる。
アクセス:東京都大田区矢口