嫁ヶ島
【よめがしま】
日本で7番目に大きい湖、宍道湖にはたった一つだけ島がある。岸から約200m離れた場所に、全長110m、幅30mのほぼ長方形をした島。それが嫁ヶ島である。島には、江戸時代初期に堀尾忠晴が勧請した竹生島神社の祠があり、多くの松の木が植えられている。普段は島に渡ることが出来ないようだが(遊覧船で近くまで行くことは出来る)、年に数回ほど湖を歩いて上陸するイベントがあるらしい。そして何と言っても、現在は夕日を背景とした構図の美しさで有名で、「日本夕日100選」にも選ばれている。
この嫁ヶ島には、その名にちなんだ悲しい伝説が残されている。
昔、姑のいじめに耐えかねた嫁が、ある冬の夜、家を抜け出し実家へ戻ろうとした。ちょうど氷の張った宍道湖を渡っていけば近道と、嫁は湖面を横断して道を急いだ。ところが、何かのはずみで(一説によると、寒さのために嫁が小用を足したためであるとも)いきなり氷が割れ、嫁はそのまま冷たい湖底へと沈んでいったのである。それを見ていた水神が憐れに思い、夜が明けきらないうちに、小さな島を浮き上がらせて嫁の亡骸を湖面へ引き揚げたのであった。嫁の亡骸と共に湖面に現れた島ゆえに“嫁ヶ島”と呼ぶようになったという。
地質学的には、嫁ヶ島は1200万年前に噴出した溶岩からなる玄武岩で出来ているとされる。また『出雲国風土記』によると、この島は“蚊島(かしま)”と呼ばれており、その表記がいつの間にか“嫁島”となり、今の名前になったのだろうと考えられている。
<用語解説>
◆堀尾忠晴
1599-1633。松江藩2代藩主。忠晴死後は堀尾氏は無嗣断絶。松江藩は京極家(こちらも約3年で無嗣断絶)を経て松平氏が統治、明治維新まで続く。嫁ヶ島にある竹生島神社は、安芸厳島神社より勧請、市杵島姫命を祀る。
◆『出雲国風土記』
天平5年(733年)に編纂される。現存する「風土記」の中で最も完本に近いとされる。
アクセス:島根県松江市嫁島町