赤水観音

【あかみずかんのん】

松浦作用姫の伝承地である鏡山への登り口にある小堂である。

新羅を討つためにこの地に赴いた大伴狭手彦は、この地の豪族の娘・松浦作用姫と恋仲になる。しかし出発の時を迎え、作用姫は鏡山の山頂から領巾(ひれ:女性が肩に掛けて垂らしていた布)を振って別れを惜しんでいたが、さらに山を駆け下り、加部島まで船を追い、その地で七日七晩泣き続けて遂に石と化してしまったのである。

一方、新羅を討つことに成功した狭手彦は、再びこの地に戻ってくると、鏡山の麓に船を繋いで作用姫の消息を尋ねる。しかし出発してすぐにこの世の人でなくなったことを知ると、その菩提を弔うべく、船を繋いだすぐそばに寺を造り、そこに新羅から持ち帰った金銅仏を安置したのである。これが赤水観音の始まりである。

現在、金銅仏は近隣の恵日寺に移されたが、赤水観音のそばには今でも大伴狭手彦が船を繋いだとされる船繋石がある。小堂自体はかなり寂れているが、堂内には作用姫と狭手彦の位牌が安置されている。

<用語解説>
◆大伴狭手彦
豪族・大伴金村の3男とされる。上に挙げた新羅征伐だけでなく、欽明天皇23年(562年)には高句麗を攻め、数々の財宝を得て帰り、天皇や蘇我稲目に献上している。佐用姫との逸話は『万葉集』や『肥前国風土記』にある。

アクセス:佐賀県唐津市鏡