星田妙見宮/星の森/光林寺
【ほしだみょうけんぐう/ほしのもり/こうりんじ】
交野市から枚方市にかけての一帯は、平安時代より“交野ヶ原”と呼ばれ、狩猟場として多くの貴族がこの地で遊んだとされる。それと同時に、天空にまつわる伝承が多く残る地でもあった。“星田”と呼ばれる一帯でも、降星伝説が残されている。
かつて空海が獅子窟寺の石窟で仏眼仏母の修法をおこなっていた時のこと。ある夜、秘法を唱えたところ北斗七星(七曜の星)が降り、3つに割れて地上に落ちてきたという。このそれぞれ落ちてきた地にあった石を影向石として祀り伝えてきたのが、星田妙見宮・星の森・光林寺である。
星田妙見宮(小松神社)は、妙見山の山頂にある神社である。主祭神は天之御中主神であり、これは本地垂迹説によると妙見菩薩の権現とされており、北極星を神格化した存在を祀っている(この神社では、現在でも、神道において北極星を表す神である“鎮宅霊符神”の霊符を配布している)。この神社の裏手には、今もなお「織女石」と呼ばれる巨大な岩があり、これが影向石であるとされ、御神体として信仰の対象となっている。
星の森は住宅地の真ん中にあり、長らく手つかずの状態で影向石が置かれていたという。昭和56年(1981年)になってこの地を整備して、小さな公園のような場所にしている。“森”とはされるが、現在では申し訳程度に木々があるだけで、整地された場所の奥まったところに塚が造られている。上に置かれている石が影向石であり、塚には影向石の破片とされる小石が4つ収められているという。
光林寺は安土桃山時代までには開山していたと推定される寺院である。“降星山”の山号を持ち、当初は“降臨寺”と記載されていたとされ、降星伝説に関連して創建された寺院であることは間違いない。この寺の境内、本堂横に影向石が祀られている。
この3つの地点を結ぶと、1辺が約900mほどの三角形が出来上がる。そのためこの3箇所は古くから「八丁三所」と呼ばれ、降星伝説が言い伝えられてきたのである。
<用語解説>
◆交野ヶ原
交野市から枚方市にかけての丘陵地帯である。その中央部を南東から北西にかけて流れる天野川を中心に、複数の天空にまつわる伝承地がある。天野川上流にあるのが磐船神社で、饒速日命(ニギハヤヒ)が天磐船に乗って降臨してきた地とされる。また交野市内には織姫を祭神とする機物神社があり、さらに天野川をはさんだ地には牽牛石が残されている。この地には「七夕伝説」が平安時代からあり、『伊勢物語』や『古今和歌集』には、在原業平がこの地で詠んだ「狩り暮らし 棚機津女(たなばたつめ)に 宿借らむ 天の河原に 我は来にけり」の歌が残されている。
◆獅子窟寺
交野市私市(きさいち)の山中にある寺院。行基が創建したとされ、境内にある岩屋が、獅子が口を大きく開けた姿に見えることから“獅子窟”と呼ばれ、そこから寺名が付けられた。空海が修法をおこなっていたのも、この獅子窟である。
◆妙見信仰
中国の道教で神格化された北極星(北辰)が、仏教の菩薩信仰と習合して「妙見菩薩」という形で信仰されるようになったものが、飛鳥時代頃から日本に伝来して始まったとされる。国土を守り、災いを除き、人に福寿をもたらすとされ、日本では“妙見”の名から眼病平癒の効験もあるとされる。また北斗七星を伴った姿で表され、その第七星を“破軍星”と呼ぶことから武神としての性格を帯び、多くの武将からの崇敬を受けるようになった。
アクセス:大阪府交野市星田