婆々杉
【ばばすぎ】
越後一之宮・弥彦神社の北隣にある弥彦競輪のさらに北隣に位置する宝光院の境内にあるのが婆々杉である。樹高約40m、幹周り約10m弱の巨木は玉垣に囲まれており、威容を誇っている。
この巨木の名の由来であるが、越後を中心に各地に伝承される“弥三郎婆”にちなんで付けられている。それぞれの地方によってさまざまな妖怪伝承が入り混ざったバリエーションを持つ伝説の主人公であるが、大まかには次の3つの出自がある。
猟師をしていた弥三郎には年老いた母がいたが、あるとき生まれたばかりの孫の子守をしている最中に、可愛さのあまりに赤子を食ってしまった。そのために老母は鬼と化し、子供を攫って食い殺したという。食人行為から鬼と化してしまったというパターン。
弥三郎という者が狼に襲われて逃げると、狼は首領である弥三郎婆を呼び出す。勇をふるった弥三郎は鉈で怪物の腕を切り落とし、それが元で弥三郎婆の正体が知れてしまったという。いわゆる“千疋狼”の伝承を色濃く残すパターン。
承暦3年(1079年)、弥彦神社造営の棟上げ式が行われたが、その時に社家である鍛冶匠・黒津弥三郎と工匠の間でいさかいが起こった。結局論争に敗れた黒津家では、弥三郎の母親がその怒りの念からついには鬼と化して、さまざまな悪行を繰り返したという。弥彦神社との関連性を示すパターン。
いずれにせよ、弥三郎婆は子供の捕まえて喰らうという鬼婆として広く知られている。また悪行以外には、世話になった村の若者のために嫁を見つけて(嫁は大阪の鴻池家から攫ってきた)、最終的に裕福にさせてやることもしている。そして悪行の限りを尽くした後に、弥三郎婆は改心して“妙多羅天女”という神になり、子供の守護神や縁結びの神として祀られることとなる。とにかくさまざまな伝説が取り混ぜられて形成されていることが分かる。
婆々杉についての伝承では、弥三郎婆はこの木に死体を引っ掛けて見せしめにしたとも言われ、またこの木の下で改心して妙多羅天女となったとも伝わる。現在でもこの木の下には妙多羅天女を祀る祠が置かれている。
<用語解説>
◆弥三郎婆の伝説に含まれる伝説
人を食ったことがきっかけで鬼と化すのは“鬼婆”の伝承そのものである。また弥三郎婆が手を切り落とされ、それを取り戻そうとする展開は“茨木童子”の伝承を彷彿とさせる(茨木童子と酒呑童子は越後の出身であるという説も存在する)。さらに狼の群れを率いる、老婆に化けた怪物という設定は“千疋狼”の伝承の典型である(弥三郎婆の出自の1つである黒津家が“鍛冶匠”であることも関連があるかもしれない)。そして婆杉のある宝光院に残されている縁起では弥彦神社の神意によって妙多羅天へと改心するくだりがあり、神社の神威を示していると言える(宝光院は、廃寺となった弥彦神社の神宮寺の流れを汲む寺院である)。その他にも、妙多羅天女と鬼子母神との共通点なども挙げることが出来る。
アクセス:新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦