真浦霊蹟
【まうられいせき】
鎌倉幕府に対する重ねての諫言などにより日蓮は捕らえられ、龍ノ口において斬首に及ぶも、奇瑞によって九死に一生を得て、佐渡に流罪となる。文永8年(1274年)のことである。それから約4年間、日蓮は佐渡の地に留まる。
その間に、日蓮が予言していた外敵の襲来が実際に起こり(文永の役における元・高麗の襲来)、初めは過酷であった流人生活も、幕府によって寛大なものとなった。そして文永11年(1277年)の3月、ついに赦免の知らせが届く。そこで日蓮は真浦へ赴き、そこから対岸の寺泊に船を出すこととなった。
まだ月明かりが残る頃、日蓮を乗せた船は沖へと進んでいった。真浦の浜には、日蓮に帰依した多くの弟子達が別れを惜しんで題目を唱える。それに応じるかのように、船上の日蓮も題目を唱えると、海面のさざめく波が月光に映え、それが“南無妙法蓮華経”の題目の文字となって見えたのであった。それ以降、深く信心する者が月明かりの下でこの地の海面を見ると、波間に題目が見えるようになったという。この奇瑞により、真浦の地には波題目の碑が建てられ、日蓮聖人の聖蹟として信仰の対象となっている。また近くには、日蓮が風待ちのために一夜を明かしたという洞窟や、帰依者の子孫が建立した日蓮堂がある。
<用語解説>
◆龍ノ口法難
日蓮の四大法難の一つ。幕府への諫言を口実に捕らえられた日蓮は佐渡流罪を命ぜられるが、秘密裏に鎌倉郊外の龍ノ口刑場で斬首する手筈となった。そしてまさに首を斬ろうとした時、江ノ島方面から“光り物”が飛来し、処刑は中止となった。その後、命令通り日蓮は佐渡へ流罪となる。
アクセス:新潟県佐渡市真浦