諏訪神社 陰陽石
【すわじんじゃ いんようせき】
キリシタン大名だった大村純忠は、キリスト教保護のために所領内の全社寺を破却するという暴挙をおこなっている。そのため大村氏の貿易港だった長崎市にある主だった社寺は江戸期以降の造営のものばかりとなる。長崎の産土神として崇敬されている諏訪神社も寛永2年(1625年)に初代宮司が再興している。
諏訪神社は、丘の上にあるために参道の階段も長い。その途中に、意図的におかしな模様が分かるように敷石が配置されている箇所が2つある。それが陰陽石と呼ばれている石である。
参道のスタート地点にある一の鳥居付近にあるのが「男石」であり、そこからかなり離れた四の鳥居付近にあるのが「女石」である。形を見れば、この2つの石が男性器・女性器をモチーフにして作られたかは明らかであるだろう。自然石の中によく似たものを見つけて、それを信仰の対象にしたものは多くあるが、このような人工的に石を配置させたもの、しかも平面上に作られたものは珍しいと言えるだろう。
さらに拝殿の前には、他の敷石とは色が異なる、円と四角形をを組み合わせた「両性合体石」なるものがある。神社の御利益としては、参道を通る時に、男性は女石を、女性は男石を踏んだ後、拝殿前で両性合体石を踏むと縁結びの願いが叶うとされている。明らかに人工的な伝承物件であるが、何かウイットというものを感じさせてくれる、面白いものである。
<用語解説>
◆大村純忠
1533-1587。日本初のキリシタン大名。1562年に自領の横瀬浦港をポルトガル人に提供。その後洗礼を受けてキリスト教に改宗、領内でキリスト教を奨励した。1570年に長崎港を提供、80年には長崎港そのものをイエズス会に寄進した。
◆諏訪神社
弘治元年(1555年)に建てられた諏訪神社と、森崎神社・住吉神社が起源とされる。寛永2年(1625年)に青木賢清によって再興される。後に幕府より「鎮西大社」とされ、長崎の鎮守となる。
アクセス:長崎県長崎市上西山町