瑞雲寺・コルネリアの塔

【ずいうんじ・こるねりあのとう】

平戸の観光スポット「寺院と教会の見える風景」の一角にあるのが、曹洞宗の瑞雲寺である。13世紀頃には既に開基され、かつては松浦家の菩提寺でもあったという由緒ある寺院である。この寺院の本堂と庫裏の間にある小さな庭に、非常に古い石塔がある。これがコルネリアの塔である。

元和9年(1623年)に平戸のオランダ商館長となったコルネリス・ファン・ナイエンローデは日本人の妻を娶り、2人の娘をもうけている。後妻であるスリシアという洗礼名の女性との間に生まれたのが、コルネリアである。

しかし寛永10年(1633年)、ナイエンローデは平戸で急死。幼い女児2人が残されることとなった(スリシアは死別後に半田五右衛門と再婚し、彼女たちの養育には関わることがなかったようである)。その3年後の寛永13年(1636年)には父の遺言によって2人は日本を離れ、バタヴィアに赴いたされる。

それ以降、コルネリアは日本の土を踏むことはなかった。寛永16年(1639年)に、外国人の妻となった者及びその子女は強制的に国外追放となり、帰国が許されなくなったのである。ただコルネリアの場合は特殊であり、実母のスリシアは既に日本人と再婚していたため追放を免れて平戸に在住し続けていたのである。そのため彼女は実母の再婚先である半田家と交流を持ち、現在でも2通の書簡が残されている。そして父であるコルネリスの50回忌を前に、彼女は半田家に供養塔の造立を依頼する。それがコルネリアの塔なのである。

数奇な運命と縁によって残された塔であるが、コルネリア自身もそれ以上に数奇な人生を歩むことになる。バタヴィアで彼女は、東インド会社の上級商務員筆頭となるピーテル・クノルと結婚し、4男6女をもうける。夫との死別後も裕福な生活を送ったが、再婚相手のビッテルとの間で前夫との財産を巡って訴訟を起こし、オランダ本国まで出廷したという、当時のオランダでも人々の興味を引く裁判の当事者となっている。

アクセス:長崎県平戸市鏡川町