天岩戸神社 天安河原
【あまのいわとじんじゃ あまのやすかわら】
東西の宮に分かれており(元々別々の神社であったが、昭和時代に合併した)、御神体は川のそばの断崖にある岩屋となっている。伝承では、この岩屋こそが天照大神が隠れたとされる天岩戸であるとされ、瓊瓊杵尊が天孫降臨を果たした後に古蹟を偲んだのが始まりと言われる。弘仁3年(812年)に大神惟基が再興するが、江戸時代には岩屋を遙拝する施設がある程度であり、明治4年(1871年)にようやく“神社”の名称が付けられている。
天岩戸は西本宮の拝殿の裏手あたりにあり、社務所で申し込みをすると遙拝所まで案内してもらえるが、実際にはその場所からもほとんどその姿を見ることはできない。見えるのは岩戸が崩落した後の一部のみである。
そして西本宮から500mほど歩いていくと、天安河原に辿り着く。こちらも天岩戸伝説の重要な舞台であり、岩戸に隠れた天照大神にいかに出てきていただくかを八百万の神々が集まって相談した場所とされる。河原には数多くの石積みがあり、仰慕窟(ぎょうぼいわや)には思金神を主祭神とする天安河原宮がある。
<用語解説>
◆天岩戸伝説
弟神である素戔嗚尊の横暴に怒り、天照大神は天岩戸に籠もってしまう。太陽神を失った世界は闇に閉ざされてしまったため、様々な災いが起こった。そこで神々は天安川の河原で相談をして、様々なことをおこなった。
思金神は長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。石凝姥命は八咫鏡を作った。玉祖命は八尺瓊勾玉を作った。天児屋命が祝詞を唱え、太玉命が御幣を捧げ持った。そして岩戸の前で天鈿女命が肌を露わにして踊った。
外が騒がしいので天照大神が少しだけ岩戸を開けて尋ねると、貴方より尊い神が現れたと言って、すかさず鏡を見せる。自分の姿が映っているとは思わない天照大神は、もう少しよく見ようと身を乗り出す。そこで天手力男神が岩戸をこじ開けて天照大神を引っ張り出すことで、ようやく世界は元の状態に戻った。
天児屋命・太玉命・石凝姥命・玉祖命・天鈿女命の五神は、その後瓊瓊杵尊の天孫降臨の際に同行する“五伴緒”となる。
◆思金神
知恵の神とされる。瓊瓊杵尊の天孫降臨の際に随伴する。
アクセス:宮崎西臼杵郡高千穂町岩戸