判官森
【はんがんもり】
平泉から直線距離にして約30km足らず。判官森と呼ばれる小さな山がある。旧・栗駒小学校の裏山であり、実際に小学校の敷地を突き抜けてちょっとした山道が続いている。
この小高い山は「判官」の名前の通り、源義経にまつわる伝承地である。文治5年(1189年)に平泉で討ち取られた義経は、その首を鎌倉に送られたのであるが、胴体は平泉に打ち捨ておかれていた。それを引き取って葬ったのが、この沼倉の領主であった沼倉小次郎高次であったという(沼倉小次郎の実弟が、義経の影武者と言われた杉目太郎である)。判官森の頂上近くには、この義経の胴塚と呼ばれる碑が建てられている。生前の義経がこの地を気に入ってよく馬を掛けてこの地を訪れたともいわれている。
判官森の麓にあたる郵便局前には、この地を訪れた際に鞭にしてた桜の枝を差したものが成長したとされる、義経鞭桜がある。また判官森のさらに奥には弁慶森と呼ばれる場所がある。
<用語解説>
◆杉目太郎
年格好が義経とそっくりであったために影武者となった武将。平泉の戦いで自刃したのは実は杉目太郎であり、義経は落ち延びてその後に蝦夷に辿り着いたという伝説が生まれた。杉目太郎の墓は、この判官森から数km離れた場所にある。
アクセス:宮城県栗原市栗駒沼倉