油すましの墓

【あぶらすましのはか】

妖怪・油すましは、水木しげる氏の作画によって有名な存在であるが、実際にはそのような実体を伴ったあやかしではなく、声と物品の怪異現象であると考えられる。

この妖怪の初出は、地元の民俗研究家であった浜本隆一の『天草島民俗誌』(1932年刊)であり、近くの草隅越(草積峠)である時老婆が孫を連れて歩いていた折りに「ここでは昔、油瓶を下げたものが出てきた」と言うと「今でも出るぞ」と言って出てきたという伝承を採話している。この話が後に柳田國男の『妖怪談義』(1956年刊)に紹介され、そこから水木漫画に採用されたと考えられる。そのため漫画のキャラクターは水木氏の完全な創作であり、またその性格付けも後年のものである。

油すましの墓は、平成16年(2004年)頃の妖怪ブームの際に、再発見という形で世に出てきた。土地の古老のお墨付きをもって本物と判断され、観光地的色合いを濃くして周辺も整備されている。ちなみに油すましの“すまし”とは、天草の方言で“しぼる”を意味する“すめる”という言葉が変化したものではないかと推測され、この墓と目されるものも地元の油搾りにまつわる碑ではないかとも考えられる(江戸後期にはこの地域では「かたし油」という椿油のようなものが生産されていたという)。

<用語解説>
◆油すましのキャラクター
水木しげる氏による創作、特に顔の造型については文楽の「蟹首」と呼ばれる人形がモチーフであると推断されている(第2回「怪大賞」京極奨励賞の今井秀和氏の論考に依るところが大きい)。また知的で落ち着き払った性格は、東映映画『妖怪大戦争』の影響が大きいと考えられる。いずれにせよ、天草での伝承とは全く関連性がないことは断言できる。

アクセス:熊本県天草市栖本町河内