河泊神社
【かはくじんじゃ】
「河泊」という名称は、おそらく「河伯」が変じたものである。河伯は河童の異称であり、この神社は近くの下田川に住んでいた河童(土佐では“えんこう”の名で通る)を祀っている。この神社の来歴は未詳であるが、かつてこの地にあった円福寺の境内に漂須部(ひょうすべ)明神という社があり、それが改称されて存続したのではないかとも考えられる。(“ひょうすべ”も河童の異称である)
毎年7月に河泊祭りがおこなわれており、地元の人も「河泊様(かあくさま)」と呼んで崇敬しているという。祭りでは、近くの小学生による奉納相撲がおこなわれ、また土佐を代表する絵師・絵金の芝居絵が披露される。さらに近年では海洋堂作製の河童のフィギュアが奉納・展示されるようになったとのこと。
<用語解説>
◆河伯
中国の神話では「黄河の神」とされ、元は人間であったが天帝より河伯とされたという。日本では河童の異称とされ、カッパという呼び名は河伯からきているとの説もある。
◆絵金
1812-1876。土佐の生まれ。本名は弘瀬金蔵。画才を認められ狩野派に学ぶが、贋作の製作に携わったとして追放される。その後、町絵師として芝居絵などを描く。「絵金」の名で親しまれ、特に芝居から題材を取った無惨絵が有名。
◆海洋堂
創業昭和39年(1964年)の模型製造会社。高い造型技術で世界的に知られる。創業者の宮脇修が高知県出身。また妻がこの河泊神社の近くの出身である縁から、河童のフィギュアを製作して奉納している。
アクセス:高知県南国市稲生