佐助稲荷神社

【さすけいなりじんじゃ】

伊豆に流されていた源頼朝はある時夢を見る。夢の中に老人が現れ「源氏の嫡流として打倒平氏の兵を挙げるのだ。何かあれば儂が助けてやる」と言う。そして頼朝が名を尋ねると「隠れ里の稲荷である」と名乗った。3日続けて夢を見た頼朝は、挙兵して平氏を倒したのである。そして鎌倉に入った頼朝は隠れ里の稲荷を探させ、佐助ヶ谷に祠を見つけて再建したのがこの佐助稲荷神社である。この神社の名前は、当時の頼朝の呼び名であった 「佐殿(すけどの)」から来たとも、「佐殿」を助けたからだとも言われている。

また時代が下って13世紀頃に、ある漁師が狐を助けてやったことから霊夢を見てこの神社に住み、その後鎌倉を襲った疫病に効く薬を作ったという伝説も残っている。とにかく大きな社ではないにせよ、結構信仰を集めているように感じる。

本殿を少し登った場所には、鳥居が建てられた洞穴のような塚がある。辛うじて読みとれる立て札の案内によると、ここは社殿が建てられる前からあった信仰の場であったらしい。由来によると、頼朝がここに神社を建てる前に既に稲荷があったとされているから、平安時代の後半にはここが斎場とされたり祭が催されたりしていたのだろう。

『吾妻鏡』によると、1185年に頼朝はこの隠れ里の巫女に一人1枚の藍染めの織物を贈ったという。この年に平家は壇ノ浦に滅びており、頼朝の覇権が確定したと言ってもよい時期である。何らかの報酬であるといって間違いないだろう。また神社が成立したのもこの時期である。

<用語解説>
◆「佐殿」の呼称
頼朝は1159年の平治の乱の最中に右兵衛権佐という官職に就く。その後乱に敗れ、職を解かれた後も、鎌倉の御家人からは尊称として「佐殿」と呼ばれた。この右兵衛権佐から権大納言の官位へ昇進するのは、1189年のことになる。

◆『吾妻鏡』
鎌倉時代末期に成立した歴史書。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝から6代将軍の宗尊親王まで(1180-1266)の出来事を編年体で著している。鎌倉幕府の歴史を見る上で第一級の史料。

アクセス:神奈川県鎌倉市佐助