腹切りやぐら

【はらきりやぐら】

元弘3年(1333年)5月22日、鎌倉幕府は新田義貞の軍勢によって滅ぼされる。事実上の滅亡の場になったのが、執権北条氏の菩提寺である東勝寺である。ここが執権北条高時をはじめとする一族郎党870余名が立て籠もり、寺に火を放ち、自害して果てた場所である。日本の歴史上、政権が瓦解する時に、これほど為政者一族(一門の自害者だけで283名とされる)が悲惨な死を遂げたということはない。

この北条高時をはじめとする一族郎党の菩提を弔うために作られたのが“腹切りやぐら”である。余りにもストレートなネーミングである。鎌倉で土地整備をすると必ず人骨が出るという噂をよく聞くが、幕府滅亡時の戦乱で亡くなった人のものであるらしい。それだけ多くの血が流れた場所であり、その中核となるのがこの腹切りやぐらと言うことになるだろう。

<用語解説>
◆北条高時
1309-1333。鎌倉幕府14代執権。『太平記』では闘犬にうち興じ、酒色に耽る暗君として描かれる。特に有名なのは、ある夜怪しい者たちと酒宴を張ったが、翌朝目覚めると辺り一面に鳥の足跡のようなものが残っており、烏天狗にたぶらかされたのだろうと言われた逸話である。

◆やぐら
鎌倉地方に見られる、中世の上流階級の墳墓。山の斜面などに横穴を掘り、そこに火葬した遺骨を納めたり、五輪塔などを置いて供養をしている。

アクセス:神奈川県鎌倉市小町