カッパ淵
【かっぱぶち】
柳田國男の『遠野物語』には、何話か河童に関する伝承が記載されている。厳密に言えば、古の伝承というよりも、実際の体験者から採話したような次元の体験談である。それによると、遠野の河童は、一般的な河童とは異なり、赤ら顔であるという。それ故に柳田は遠野の河童と猿との関連性を唱えている。
遠野の河童といえば、今や観光地となっているカッパ淵が最も有名である。「河童狛犬」のある常堅寺の裏手を流れる川にカッパ淵はある。かつてはこの淵にも河童が住んでいるとされ、たびたび目撃されていたらしい。
現在、このカッパ淵には、河童を祀った祠がある。この淵で悪さをしていた河童を諭し、神として祀ったものであると推測される。なぜか乳の神であり、赤い布で乳をかたどった供え物を奉納すると、母乳の出がよくなると伝わる。
このカッパ淵の近くには、東北の豪族・安倍氏が構えていた安部屋敷跡が残っている。この安倍氏の末裔にあたり「カッパじいさん」と呼ばれていたのが安部与市氏である(2004年にお亡くなりになっている)。氏自身も幼少期にこの地で河童を目撃している、生き証人であった。
<用語解説>
◆安倍氏
平安期に東北一帯に勢力を持った豪族。出自は定かではない。頼時の代、永承6年(1051年)から始まった前九年の役で安倍氏は敗れ、子の貞任は敗死した。その後、頼時の娘の子が藤原清衡となり、再び東北を支配することになる。また、戦国時代に東北に割拠した豪族の多くが安倍氏の末裔であると称している。
アクセス:岩手県遠野市岩淵町岩淵