大甕神社 宿魂石

【おおみかじんじゃ しゅくこんせき】

社伝によると、この宿魂石とは、この地をを治めていた甕星香々背男(みかぼしかかせお)が化身したものであるとされる。この甕星香々背男は星の神であり、別名、天津甕星(あまつみかぼし)と言う。『日本書紀』によると、国譲りの大役を終えた武甕槌命と経津主神はその後もまつろわぬ悪神を平らげていったが、最後まで屈服しなかったのが香々背男であった。最終的にこの二神に代わって服従させたのが建葉槌命(たけはづちのみこと)であり、大甕神社の祭神となっている。伝説では、香々背男の荒魂を封じ込めた石が成長するが、建葉槌命が金の沓で蹴り上げたところ、石が砕け散ったという。

この神社は初め大甕山にあったのだが、元禄2年(1689年)に徳川光圀の命によって、宿魂石の上に遷宮している(宿魂石は実際には巨石が集まってできた小高い丘である)。『日本書紀』にある由緒に基づいて遷宮したとされるが、それだけ荒ぶる神であったという認識があったものと思われる。

<用語解説>
◆天津甕星
『日本書紀』のみの登場する天津神。天津神でありながら“悪神”とされる。上記の内容以外にも、二神が国譲りに赴く前に誅しておきたい天の神であると言ったともされている。いずれにせよ、非常に特殊な立ち位置にある神である。なお、天津甕星とは、平田篤胤によると「金星」を指しているという説がある。

◆武甕槌命・経津主神
国譲りおいて大国主命と交渉して認めさせた武神。武甕槌命は鹿島神宮の祭神、経津主神は香取神宮の祭神であり、ともに東国平定に関連のある神とされる。その点で言えば、この二神に最後まで抵抗した香々背男の存在は大きいだろう。

◆建葉槌命
別名、倭文神(しとりのかみ)。織物の神であり、女神である。なぜ星の神を服従させることができたかについては、星を織り込んで布を織った(要するに懐柔策)という説もある。

アクセス:茨城県日立市大みか町