姥が石

【うばがいし】

姫路城天守閣の近く「ほの門」あたりの石垣に、1箇所だけ金網で覆われている部分がある。これが姥が石と呼ばれ、次のような伝説が残されている。

天正8年(1580年)に播磨国を平定し、黒田孝高から姫路城の地を移譲された羽柴秀吉は、わずか1年ほどの間に3層の天守閣を持つ城を築きあげた。しかし着工当初は思うように石垣となる石が集まらず、難儀していた。その時、城下で焼き餅を売っていた貧しい老婆がその噂を聞き、これだけでも使って欲しいと、家にあった古い石臼を差し出したのである。感激した秀吉は早速この石臼を石垣に組み込んだ。するとこの話は評判となり、町の者が進んで石材を寄進しだし、城が完成したと言われる。

<用語解説>
◆姫路城
正平元年(1346年)に赤松貞範による築城を嚆矢とする。その直後より城代として小寺氏が居城とする。大規模な城となったのは、戦国末期の黒田重隆(黒田官兵衛の祖父)の頃であるとされる。羽柴秀吉が姫路を拠点としていたのは、播磨平定から賤ヶ岳の戦い直後までの約3年間である。現在の天守閣などの城構えは、関ヶ原の戦いの後に姫路城主となった池田輝政によるものである。

アクセス:兵庫県姫路市本町 姫路城内