銭掛松

【ぜにかけまつ】

東海道の関の宿から分かれて津で伊勢街道と合流するのが、伊勢別街道である。その旧街道沿いにあるのが銭掛松と呼ばれた松を祀るお堂である。お堂の中にはかつての松の古木が納められており、境内には今でも何代目かの松が植えられている。

伊勢街道はその名の通り、伊勢神宮参拝のための主要街道である。そして銭掛松もその伊勢参拝にまつわる伝承が元になっている。

西国に住む男が伊勢参りにこの地までやって来た。しかし路銀がわずかであるために、そばの茶店の主人に伊勢神宮まであとどれぐらいか尋ねた。すると主人はまだ半月ほど掛かると答えた。それを聞いてこれ以上の旅は無理と諦めた男は、松の木に銭を掛けて、ここから神宮に遙拝すると帰路についてしまった。

喜んだのは茶店の主人である。嘘をついてまんまと銭をせしめることが出来たと、男の掛けていった銭の束を盗もうと近寄った。すると突然銭の束は白蛇に変わり、主人の方を睨みつけて威嚇するではないか。肝を冷やした主人は結局銭を盗むことも出来ず、そればかりかそれ以降客足は遠のいてとうとう茶店も潰れてしまったという。

一方、帰国した男は、実際に伊勢神宮へ行った者からその場所が神宮から目と鼻の先であったことを聞かされ、翌年再び参拝を決意する。そして例の場所へ来てみると、松の木には自分が掛けた銭の束がそのまま残されていた。男はそれを取ると、改めて神宮に納めたのである。その話はいつしか参拝客の噂となり、その松に銭を掛けて道中の安全を祈願する風習が広まったという。

この伝説にはいくつかのパターンがあり、隠岐に流された小野篁の妻が夫の赦免を祈願して伊勢神宮に参るという話も流布しているが、いずれも伊勢神宮参拝途中で諦めかけた者が銭を松の木に掛け、それを盗もうとした者がその罰を受けるという展開となっている。

<用語解説>
◆伊勢別街道
各地から伊勢神宮へ至る街道は多くあるが、伊勢別街道は京都方面からの参拝客が通る主要街道となっている。メインとなる伊勢街道は現在の国道23号線となる。

◆小野篁
802-853。平安時代初期の公卿。夜ごと地獄へ赴き閻魔大王の裁判の補佐をしていたという逸話をはじめ、数多くの怪しい伝説・伝承を持つ。隠岐へ流罪となったのは、遣唐使の役目を拒否して、朝廷を批判する漢詩を作ったためである。その期間は承和5年(838年)から約2年ほどであり、その後はその文才によって復位している。

アクセス:三重県津市高野尾町