魏石鬼岩窟
【ぎしきのいわや】
『信府統記』によると、平安時代初期、安曇野地方に魏石鬼という賊がいた。別名を八面大王という。各地を荒らし回ったため、大同元年(806年)に蝦夷征討に赴く途上にあった坂上田村麻呂によって成敗されたと伝えられる。この魏石鬼が田村麻呂に抵抗するために立て籠もったとされるのが、魏石鬼岩窟である。
有明山神社に隣接する正福寺から細い山道を伝って歩くこと10分足らず、岩窟はある。岩窟の上にはお堂が建てられ、さらに岩窟の表面には磨崖仏が彫られている。かつては修験道などの修行場としても用いられた様子がうかがわれる。
この岩窟は花崗岩の巨石を組み上げられて作られた古墳、日本では珍しいドルメン式古墳であるとする鳥居龍蔵の説が一般的である。この地域の名ともなっている安曇族が九州方面から移動してきた海洋民族とされるため、ドルメン式古墳が多く見られる朝鮮半島との関係も指摘される。山の中にひっそりと佇むようにある岩窟は、その特異な姿である故に、何かしら畏怖の念を感じさせるものがあると言えるだろう。
<用語解説>
◆『信府統記』
松本藩の命によって享保9年(1724年)完成の、信濃国の地誌。魏石鬼の伝説は、おおよそこの書籍に依っている。ただしこの伝説の元となった史実として、『仁科濫觴記』にある盗賊団“八面鬼士大王”の存在がある。
◆ドルメン
支石墓。柱となる巨石を数個並べてその上に平らな巨石を乗せる、テーブルのような形の墓。西ヨーロッパのものが有名であるが、東アジアでも独自に発達し、中国東北部で発生し、朝鮮半島に広く見られる。日本では、朝鮮半島の影響を受けたと推測されるものが九州北部にいくつかあるが、その規模はかなり小さい。弥生時代前期にはほぼ作られなくなったと考えられる。
◆鳥居龍蔵
1870-1953。人類学・考古学・民俗学者。日本をはじめ、アジア地域のフィールドワークを精力的に行う。
アクセス:長野県安曇野市穂高有明宮城