光前寺 早太郎の墓

【こうぜんじ はやたろうのはか】

光前寺は天台宗の古刹である。庭園は国の名勝に指定され、境内にはヒカリゴケが自生するという、非常に環境の良い落ち着きのある場所である。この寺院には、霊犬・早太郎にまつわる伝説が残されている。

ある時、山犬が光前寺の縁の下で子犬を生んだ。住職が手厚く世話をしてやると、母犬は子犬の1匹を寺に残していった。残された子犬は大変賢く、動きが俊敏であったため、早太郎と名付けられた。

数年後、光前寺に一実坊という旅の僧が訪れた。僧が言うには、遠州府中の見附天神では、毎年祭りの時に白羽の矢が立てられた家の娘を人身御供として神に差し出す風習がある。生贄を要求する神がいるのかと思い様子をうかがうと、化け物たちが現れて「今宵今晩おるまいな 信州信濃の早太郎 このことばかりは知らせるな 早太郎には知らせるな」と歌いながら娘を引っさらっていった。そこで信濃に早太郎という者を探しに来たのであるが、それが光前寺の飼い犬と知って、借り受けに来たのであると。

話を聞いた住職は早速早太郎に言い聞かせ、一実坊と共に見附天神に向かった。そして祭りの生贄となる娘の代わりに早太郎が箱に入って、夜を待った。すると化け物たちが現れ、歌い踊りながら箱を開けた。一散に飛び出す早太郎、不意を突かれて慌てふためく化け物。しばらく凄まじい戦いの物音がしていたが、やがてその音も小さくなっていった。夜が明けて村人がおそるおそる見に行くと、巨大な狒狒が3匹噛み殺されていたのであった。

その頃早太郎は、生まれ故郷の光前寺へ向かっていた。しかし狒狒との戦いの傷は深く、寺に戻り住職の顔を見ると、一声鳴いてそのまま息絶えてしまった。哀れに思った住職は、境内に一基の墓を建て、霊犬・早太郎を祀った。延慶元年(1308年)のことと寺では伝えられている。またその後、一実坊も早太郎供養のために大般若経を奉納している(現存)。

早太郎の伝説は光前寺だけではなく、狒狒退治があった見附天神にも伝えられており、この縁で駒ヶ根市と静岡県磐田市は姉妹都市を提携している。かなり距離のある土地同士で全く共通の伝説が残る、珍しい実例である。

<用語解説>
◆「早太郎」の名称
光前寺の伝説では「早太郎」とされているが、もう一方の伝承地である見附天神では「しっぺい(悉平)太郎」と呼ばれている。また「疾風太郎」と呼び慣わす地域もある。

◆見附天神
静岡県磐田市にある。矢奈比賣神社が正式名称。隣接地には早太郎を祀る霊犬神社がある。一実坊はこの神社の社僧であり、実際に早太郎を探しに信濃へ行ったのは旅の六部であるとの伝説もある。また見附天神での伝説では、大怪我を負った早太郎を村人が介抱し、それから光前寺に送り返したとされている。

アクセス:長野県駒ヶ根市赤穂