大将軍神社

【たいしょうぐんじんじゃ】

桓武天皇が平安京を造営した時に、都の守りとして荒ぶる神(その正体は素戔嗚尊)を各方角に置き、それぞれを「大将軍」として祀った。この大将軍神社はこの4つのうちの東の守りとされている。

この地には、後に関白・藤原兼家の屋敷が置かれ、「東三条殿」という名で呼ばれるようになる。さらに、かつての京都の東の入り口である粟田口に通じる三条通に面しており、魔物を抑える魔界のシステムであると同時に、地理上の東の要衝であったと考えられている。

このような由緒正しい神社であるが、取り立てて何か変わったものがあるという訳でもない。ただ一つ、本殿の内陣部分から【御神木】が勢いよく伸びているのだけは何か圧倒されるものがある。この御神木であるが、樹齢800年と言われており、この神社の古さを物語っている。

先程来から挙げられている「東三条」という地名であるが、実はこの辺り一帯は東三条の森と呼ばれる、鬱蒼とした森になっていたそうである。そしてその森こそが、かつて天皇を悩ませた“鵺”の怪物の住処なのである。そのためこの御神木はその森の名残として認識されている。(ただし樹齢800年とすれば、この御神木が生える前に鵺退治があった計算になるのだが)

<用語解説>
◆大将軍神社
大将軍は陰陽道における方位神(元は金星にまつわる星神)。さらに牛頭天王の息子であり、素戔嗚尊を同一視されている(ただし後に牛頭天王と素戔嗚尊は習合する)。
桓武の天皇の建てたとされる4つの大将軍神社は、現在、以下の場所にある。東-東三条、西-西大路一条の大将軍八神社、南-藤森神社の境内社、北-西賀茂大将軍神社。

◆藤原兼家
929-990。摂政・関白・太政大臣を歴任する。兄・兼通との不仲、花山天皇の退位にまつわる奸計など、逸話に事欠かない。藤原氏による摂関政治を確立させ、摂関の地位を直系の子孫で独占した。

アクセス:京都市東山区三条通大橋東三丁目下ル長光町