乙が森/花尻の森

【おつがもり/はなじりのもり】

大原の里に残る、一人の女性の悲しい伝説がある。

大原の里を縦断する幹線道路は、近年“鯖街道”と呼ばれ、若狭と京都を結ぶ往還であった。ある時、大原に住むお通という娘が、この往還を利用する若狭の殿様に見初められた。玉の輿となったお通は、殿様と共に若狭へ下った。ところがしばらくすると、お通は病を得て、殿様の寵愛を失ってしまう。そればかりか、暇を出されて大原の里に帰されてしまったのである。悲観したお通は大原川の女郎淵に身投げし、ついにはその妄執によって蛇体へと変化したのであった。

やがて若狭の殿様は上洛のためにこの大原の里を通過することとなる。それを知った蛇身のお通は川を下り、花尻橋のたもとまで殿様の行列を追い、遂に襲いかかったのである。しかしその危急に松田源太夫という侍が大蛇に立ちふさがり、返り討ちにする。大蛇は無残にも首と尾を打ち落とされ、恨みを晴らすことなく死んでしまったのである。

だがお通の恨みは消えることなく、その日から雷雨が続き、どこからか悲鳴が聞こえるようになった。里の者は恐れをなし、大蛇の首を乙が森に、尾を花尻の森にそれぞれ埋めて供養したのである。そしてそれから大原の蛇祭が始められ、乙が森と花尻の森に、藁で出来た蛇の頭・胴・尾が奉納されるようになったという。

現在、乙が森には龍王大明神と刻まれた石碑が建てられており、大蛇を祀る場所として特別な場所となっている。一方花尻の森は、このお通の伝説以外に、大原の里に隠棲した建礼門院を監視するために、源頼朝が派遣した松田源太夫という御家人の屋敷跡であるという話が残されている。また近くの江文神社の御旅所ともなっている。

<用語解説>
◆建礼門院
1155-1214。平清盛の娘。高倉天皇の中宮となり、安徳天皇を生む。しかし平家の没落と共に京都を離れ、壇ノ浦の戦いの際に入水を図るが囚われの身となる。京都で出家、安徳天皇と平家一門の菩提を弔うために大原の寂光院に隠棲する。『平家物語』の終巻では、お忍びで大原を訪ねてきた後白河院が建礼門院と対話する場面が描かれている。

アクセス:京都市左京区大原草生町(乙が森)
     京都市左京区大原戸寺町(花尻の森)