於岩稲荷陽運寺

【おいわいなりよううんじ】

四谷左門町の於岩稲荷田宮神社の向かい側には、於岩稲荷陽運寺がある。両者とも【於岩稲荷】と名乗っており、いわゆる本家争いを繰り広げている(現在はお互いの存在を無視しあう形で並存しているらしい)。お岩様ゆかりの地として探訪する者も多いが、この睨みあうようにして並び立つ2つの寺社には必ずと言っていいほど面食らわされるのである。

結論から言ってしまうと、歴史的な背景を辿っていけば、田宮神社の方が本家である。元々この地が田宮家の旧宅跡であり、既に江戸時代には存在していたことが記録されている。翻って陽運寺は、戦後にこの四谷に移転してきた日蓮宗の寺院である(陽運寺そのものが昭和になって創建された寺院である)。

一番肝心な点であるが、田宮神社に祀られているお岩は史実として田宮家にあった女性であり、それに対して陽運寺に祀られているお岩はまさに『東海道四谷怪談』に登場する主人公なのである。田宮神社は、この鶴屋南北の芝居に登場するお岩はフィクションであると広言し(もし事実であれば田宮家は断絶しており、神主である田宮氏が子孫であるという事実に反するわけである)、陽運寺は積極的にこの物語のイメージを喧伝しているのである。つまり、両者が“お岩様”呼ぶものは全く次元の違う存在を指していると言ってもおかしくないのである。

<用語解説>
◆二人の“お岩”
田宮神社が主張する“お岩”は江戸初期(元和~寛永)の頃に存命していた者であり、それ以外に元禄頃にも“お岩”と名乗る女性が存在していたことが判っている(こちらが『東海道四谷怪談』のモデルとなった可能性が非常に高い)。しかもこの代から100年以上田宮の名前が過去帳に現れていない事実もある。同じ名前の別人物、それも全く異なる人物像を持つ者があったために、こうした混乱が生じた可能性が高い。詳細は小池壮彦氏の『四谷怪談 祟りの正体』を参照のこと。

アクセス:東京都新宿区左門町