雪おんな縁の地碑

【ゆきおんなゆかりのちひ】

小泉八雲(ラフカディオ=ハーン)の晩年の傑作である『怪談』に収められた“雪おんな”の話は、この著名な妖怪にまつわる伝承の最も一般的なものとされている。

巳之吉という樵の若者が、冬のある夜に吹雪で戻れなくなり、茂作という老人と共に、川の渡し場にある小屋で一夜を明かそうとした。真夜中に吹き付ける雪に目を覚ました巳之吉の前には、白ずくめの美しい女がいた。女は茂作に息を吹きかけて凍死させると、巳之吉に近づいた。しかしその女は、この夜の出来事を話さないと約束するなら命は助けると言って、去ってしまった。

数年後、巳之吉はお雪という女と出会い、結婚。10人の子供をもうけた。お雪は美しく、いつまでも年をとらなかった。そしてある夜、子供を寝かしつけた後、巳之吉はお雪の顔を見ながら思い出したように、あの小屋で出会った女のことを話してしまう。するとお雪は、自分こそがあの時の“雪おんな”であるが、既に子供もなしてしまった今は、殺してしまうことは出来ない、と言うとその場で消えてしまった。

この話は八雲の創作ではない。『怪談』の序文には“武蔵の国、西多摩郡調布の百姓が、自分の生まれた土地の伝説として物語ってくれた”と明記されている。さらにこの話をしたとされる人物は、八雲の家で奉公していた、調布村出身の親子であると推断されている。

さらに、かつての調布村にあった川の渡し場で最も有名な場所が“千ヶ瀬の渡し”であるということから、おそらくこの有名な怪談話の舞台が比定されたのである。そして平成14年(2002年)、この渡し場のそばにある調布橋のたもとに、雪おんな縁の地碑が作られたのである。碑文は、八雲の孫にあたる小泉時が揮毫。碑の裏側には“調布村”が記載された『怪談』の序文とその和訳文のプレートが付けられている。

<用語解説>
◆小泉八雲
1850-1904。ギリシア(当時はイギリス領)のレフカダ島の生まれ。父はアイルランド人、母はギリシア人。若くしてアメリカに渡り、ジャーナリストとして活動。40歳の時に来日、旧制松江中学の英語教師となる。松江で小泉セツと結婚。その後、熊本第五高校、東京帝国大学の英語講師となり、帰化し小泉八雲と名乗る。著作は『怪談』をはじめ、日本の霊性の本質を紹介する怪異譚を集めたものが多い。
なお八雲は日本語が読めないため、妻のセツがさまざまな書籍を読み、また周辺の者から話を聞き集めた内容を、八雲に語り聞かせ、それをもとに執筆していたという。

◆調布村・調布橋
調布村は明治22年(1889年)の町村制施行により成立(当初は神奈川県)。昭和26年(1951年)に町村合併により青梅市となり、消滅。
調布橋は、大正11年(1922年)に吊り橋として秋川街道に架けられる。それまでは、現在の橋の少し下流にあった“千ヶ瀬の渡し”が交通の手段となっていた。

アクセス:東京都青梅市千ヶ瀬町