念仏石

【ねんぶついし】

京都と奈良の県境、旧国道に面した場所に3つのお堂が並んである。その一番左側のお堂の中には、大きな石が1つだけ置かれている。それが念仏石と呼ばれるものである。

建久6年(1195年)、東大寺大仏殿落慶法要の折り、導師の一人として招かれた法然は、念仏のことのみ説法して京へ戻ろうとした。そのことに不満を持った人々は奈良から法然を追い掛けて、ようやく国境で追いついた。

「なぜ念仏の話だけで、法相・華厳などの他宗派の教義について触れなかったのか」との問いかけに対して、法然は念仏がいかに勝れていてその功徳が重いかと説明し、紙に南無阿弥陀仏の名号を書き、そばにあった大石と天秤で量ってみた。法然が念仏を唱えると、徐々に大石の方が上にあがっていき、紙の方が下へさがっていったのである。それを見て、人々は念仏の功徳を悟ったということである。

天秤に掛けられたその大石が念仏石であり、そしてその時に法然が書いた名号は、近くにある安養寺に安置されている。

<用語解説>
◆法然
1133-1212。浄土宗の開祖。南無阿弥陀仏の念仏を唱えることで往生を遂げることが出来るとした、専修念仏の教えを広める。

◆東大寺再建
平重衡による南都焼き討ち(1180年)で焼け落ちた東大寺を、東大寺勧進職となった重源が中心となって再建させた。この重源の師匠に当たるのが法然であったため、落慶法要の導師として招かれたのである。この落慶法要には、多くの援助をおこなってきた源頼朝・政子も参列している。

◆安養寺
この念仏石の逸話の後、法然はこの安養寺に二日間逗留して、大いに教導したという。

アクセス:京都府木津川市市坂幣羅坂