忠盛灯籠
【ただもりとうろう】
八坂神社本殿の東側に、柵に囲まれてある古びた灯籠がある。これが忠盛灯籠である。忠盛とは、平家の棟梁であった平忠盛のことを指し、その武勇にまつわる伝説が残されている。
『平家物語』巻之六によると、五月のある雨の夜、白河法皇が愛妾の祇園女御の許へ訪れようと、八坂神社の境内を通りがかった時のこと。法皇一行の前方に光るものが見えた。薄ぼんやりと見えるその姿は、銀の針で頭が覆われ、手に光る物と槌を持った不気味なものであった。鬼であろうと恐れおののいた法皇は、すぐに供回りの者にこの物の怪を討ち取るように命じた。
命を仰せつかったのは平忠盛。しかし忠盛は、すぐに打ち掛かろうとはせず、まずそのあやかしの様子を探り、頃合いを見計らってたちどころに生け捕りにしたのであった。
鬼と思っていた者の正体は、雑用を務める老僧で、油の入った瓶を持ち、土器に火を入れて、境内の灯りをともして回っていたのであった。頭に生えた針は、雨除けにかぶっていた藁が火の光に当たって輝いたように見えていただけであった。
無益な殺生を防いだ忠盛の思慮深さに人々は感嘆し、その後、法皇は祇園女御を忠盛に与えたのであった。その時既に女御は懐妊しており、生まれた子が後の平清盛になると物語では説明している。忠盛灯籠は、この逸話の時に老僧が火を入れようとしていた灯籠であるとされている。
<用語解説>
◆平忠盛
1096-1153。伊勢平氏の棟梁。白河・鳥羽の院政体制の中で、北面の武士(院の警護を司る)の中心的役割を果たす。また伊勢平氏として初めて昇殿を許され、瀬戸内海一帯に勢力を拡大して宋との貿易を成功させるなど、子の清盛の代での政権確立の基盤を造り上げた。
◆祇園女御
生没年も素姓も未詳。白河法皇の愛妾。女御という身分で呼ばれているが、通称である。鳥羽天皇の中宮となる待賢門院を養女として育てる。院の近臣であった平忠盛は、父の代より祇園女御に仕えていた。また上の逸話では平清盛の実母とされているが、一説には妹の子であり、猶子としたともされる。
アクセス:京都市東山区祇園町 八坂神社境内