金長大明神

【きんちょうだいみょうじん】

「阿波狸合戦」の一方の総大将である金長狸を祀った神社である。

日開野の染物屋・茂右衛門が助けた金長狸は店のために能力を発揮するが、無位無官であるため、津田浦の六右衛門狸の下で修行をする。金長の才覚を認めた六右衛門は娘婿になって跡を継ぐよう頼むが、金長は日開野に戻ることを望んで辞退。身内にならなければ危険な存在と思った六右衛門は闇討ちをするが、取り逃がす。子分を殺された金長は仇討ちを呼びかけ、さらに娘の諫死に逆上した六右衛門も遺恨を含み、阿波国の勢力を二分する戦いが三日三晩続いたのである。戦いの結果、総大将同士の一騎打ちとなり、六右衛門は討死。しかし金長も深手を負って日開野の茂右衛門の許で絶命する。

金長の死後、茂右衛門はそれを丁重に祀り、弘化5年(1848年)に正一位にまで上りつめたのである。

しかしながら、現在の金長神社は茂右衛門が祀ったものではなく、意外なところから興ったものである。

この「阿波狸合戦」が全国的な知名度を持つようになったのは、昭和14年(1939年)の新興キネマによる映画「阿波狸合戦」のヒットによるところが大きい。新興キネマは当時倒産の危機にあったが、この映画の大ヒットで息を吹き返した。そこで御礼ということで、日峰神社の境内社として金長神社本宮を創建したのである。

新興キネマはその後大映と社名を改めるが、戦後もこの“狸もの”を製作してヒットを続けていき、昭和31年(1956年)に当時の社長であった永田雅一が100万円を寄付して、金長奉賛会設立と共に、日峰山の南の現在地に金長大明神を建立したのである。ご利益は勿論と言うべきか、商売繁盛と芸能上達である。

<用語解説>
◆永田雅一
1906-1985。映画プロデューサー。大正14年(1925年)以来映画業に携わる。新興キネマ入社後は辣腕をふるい、戦時統制のさなかに大映を創設させ、戦後に社長に就任する。会社組織を身内で固め、永田の独断で企画を通すなどのワンマン経営をおこなう。また大映球団を設立してプロ球団オーナーに就任するなど、常に派手な行動を取り“永田ラッパ”とも揶揄されることも多々あった。

◆金長まんじゅう
徳島県を代表する菓子。昭和12年(1937年)より発売。チョコレートを練り込んだ皮で白餡を包み、焼いたまんじゅうである。金長の名を採っているが、至って普通のまんじゅう菓子である。

アクセス:徳島県小松島市中田町