八倉比売神社

【やくらひめじんじゃ】

正式名称は、天石門別八倉比売神社。祭神は大日霊命(おおひるめのみこと)、即ち天照大神である。そしてこの神社の古文書には、天照大神の葬儀の詳細が記されており、おそらく八倉比売とは天照大神の別称ではないかと推察される。

また八倉比売神社は延喜式において明神大社として挙げられており、さらに言えば、延久2年(1070年)の太政官符には「八倉比売神の祈年月次祭は邦国の大典なり」と明記し、奉幣を怠った阿波国司を叱責している。時の朝廷にとっても非常に重要な神社であることがうかがえる内容である。

そして、この地は阿波国の国府が置かれた場所であると同時に、縄文期から古墳時代にかけての遺跡も多く残されている(このエリア一帯が阿波史跡公園として整備されており、神社もその公園の中にある)。八倉比売神社の御神体は鎮座している杉尾山であるとされているが、この山を含む気延山一帯には約200もの古墳が存在している。実は、八倉比売神社も古墳の上に建てられており、前方後円墳の前部分に社殿が、そして後ろにあたる円墳部分は奥の院となっている。この奥の院には、五角形の石積みの祭壇が置かれ、その上には“つるぎ石”と呼ばれる石が収められた祠がある。この祭壇は一説によると“卑弥呼の墓”であり、この阿波一帯こそが邪馬台国であると言われている。真偽はともかく、この青石で造られた祭壇の異質ぶりは一見の価値があるだろう。

<用語解説>
◆邪馬台国四国説
邪馬台国が徳島にあったという説については、昭和51年(1976年)に発刊された『邪馬壱国は阿波だった』において本格的に紹介された(邪馬「臺」国ではなく、誤字とみなされていた「壹」にすることで“やまい”と読ませて、阿波との関連性を高めている)。四国説では、天照大神=卑弥呼とみなし、高天原も阿波にあるという展開となっている。また「魏志倭人伝」に記載されている方角や距離などの条件に最も合うのが四国であるということも、根拠としている。

アクセス:徳島県徳島市国府町矢野