大雄寺

【だいおうじ】

松江城の南西部にある、日蓮宗の寺院。松江に城が築かれた時、戦国大名の尼子氏の居城・月山富田城があった広瀬の町から移転してきた、由緒ある寺院である。そして近くにある月照寺と同じく、小泉八雲の怪談話の舞台として有名な寺院でもある。この寺院に残された怪談話は八雲の『知られぬ日本の面影』に収められている。

中原町にある飴屋に、ある夜から連日、一人の女が水飴を一厘分求めてやって来た。白い着物を着て痩せ細った姿に店の者は訝しんで女に色々と尋ねるが、全く返答をしない。そこで店主が帰っていく女の後をつけると大雄寺の墓地へ入っていくので、怖くなってその場から店へ戻ってしまった。

翌日の夜、その女はまた店にやって来たが飴を買わず、一緒に来て欲しいと手招きする。店主は怖かったが、もう一人の知り合いと一緒に女に導かれるように墓地に入っていった。ところが女は、墓地の一角に建てられた石塔の前で突然消えてしまった。そしてその石塔の下から赤子の泣き声が聞こえてきたのである。

店主らは驚いてその石塔をどかすと、その下から飴を買いに来た女の遺骸があり、そのそばには生きている赤子がいて、提灯の明かりを見てにこにこ笑っていた。さらに赤子の横には水飴を入れていた茶碗が置かれていたのだった。

全国各地の寺院に残る“飴買い幽霊”の伝説の一つであり、女の幽霊が飴屋を手招きして墓へ連れていく展開は珍しいが、全体の構成としては物語の骨子に沿ったものである。しかしこの物語の結末に八雲は、見つけられた赤子のその後を記述する代わりに、「母の愛は、死よりも強いのである」という一文で締めくくっている。彼自身が実母と生き別れるという過酷な運命をたどってきた故の、母親に対する強い思慕の念を表す言葉であると推察されている。

<用語解説>
◆小泉八雲
1850-1904。旧名ラフカディオ・ハーン。日本に帰化後の名が小泉八雲。父はアイルランド人、母はギリシア人で、幼い頃に両親が離婚し、母とはそれ以降会うことはなかった。アメリカ居住中に日本に興味を持ち、明治23年(1890年)に来日。松江中学の英語教師となり、翌年小泉セツと結婚する。教師として各地で教鞭を執るかたわら、日本文化を紹介する著作を執筆する。

◆『知られぬ日本の面影』
明治27年(1894年)出版。ハーン来日後初の著作(出版時にはまだ帰化しておらず)。松江を始めとする出雲地方のエピソードが多く記述されている。

アクセス:島根県松江市中原町