お馬神社

【おうまじんじゃ】

土佐で最も有名な民謡“よさこい節”の歌詞に「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た」とあるが、このかんざしを買ってもらった人物が、この神社に祀られているお馬である。

お馬は天保10年(1839年)に五台山村の鋳掛け屋の娘として生まれる。この村にあったのが、四国八十八箇所霊場の31番札所の五台山竹林寺。この寺の脇坊の住職をしていた純信は20歳も年下のお馬に恋慕して、安政2年(1855年)に二人して駆け落ちしたのである。しかし、讃岐の琴平まで逃げたところで二人は捕まって土佐に戻され、晒し刑を受けた後、純信は国外へ追放、お馬は安芸へ追放となった。

翌年、行商人に身をやつした純信が安芸にいるお馬を訪ねて、再度駆け落ちを試みようとする。だが、今度はお馬が承知せず、一悶着の挙げ句に再び捕縛されてしまう。最終的に純信は再び国外へ追放、お馬は須崎の庄屋預かりとなったのである。純信は執心していたが、お馬の方は既に熱が冷めていたと言われる。

須崎に移って1年後に、お馬は大工の寺崎米之助と結婚し、4人の子供に恵まれる。その後、明治18年(1885年)に家族とともに須崎を離れて東京・滝野川へ行き、明治36年(1903年)に亡くなった。ただ池ノ内には夫の実家の墓があり、この地に分骨されたという。そして昭和29年(1954年)になって、お馬の霊を祀った“お馬堂”が建てられ、それが現在のお馬神社となっている。神社とは呼ばれているが、実際にはお堂の中にはお馬の供養墓が建てられているだけである。ご利益は恋愛成就である。

<用語解説>
◆よさこい節
江戸時代初頭、山内一豊が高知城を築城する際に歌った木遣歌が原型ともされている。節に合わせていろいろな替え歌が作られ、その中で純信・お馬の駆け落ち事件を読み込んだ歌が最も有名なものとなった。

アクセス:高知県須崎市池ノ内