神呪寺

【かんのうじ】

天長5年(828年)、淳和天皇の第四妃である如意尼(真井御前)が開いたとされる、真言宗の寺院である。本尊は如意輪観音、日本三如意輪とも称される。その寺名であるが、「神を呪う」と書かれるが、実際には“じんしゅ”と読み、“真言”と同じ意味を持つ言葉である。また開基には空海も深く関わっており、“甲山大師”と通称されている。しかし、この寺院の背後に控える甲山こそが、このエリアの信仰の中心であることは疑いのないところである。

甲山は、その形がヘルメットに似ているためにその名が付いた、あるいは神功皇后が兜をこの山に埋めたという伝説からその名が付いたとされる(埋めたものは如意宝珠であるともされる)。つまり神功皇后の時代より聖地として認知されてきた場所である。

最近になって、この山の中で【牛女】に出くわしたという噂があり、また境内にはそれを彷彿とさせる謎の巨石が置かれている(ただしこの巨石がどうのような目的で置かれているのかは全く定かではない)。

<用語解説>
◆真井御前
802~835。丹後一之宮・籠神社の宮司、海部氏の娘。10歳の折に京都頂法寺六角堂に入り、如意輪観音に帰依する。20歳の時に淳和天皇に見そめられて第四妃となるも、6年後に出奔。甲山に草庵を結び、空海により出家、如意尼と称する。835年3月20日に遷化。翌日、高野山にて空海入定。空海との間には師と弟子との関係以上のものがあるのではないかと憶測される。

◆神功皇后
14代仲哀天皇の皇后。渡韓伝説など、当時の大和朝廷における軍事政策の象徴とも言える存在である。甲山での伝承も、この三韓出兵からの帰還の時のものであったと推測される。

アクセス:兵庫県西宮市甲山町