真間の継橋

【ままのつぎはし】

真間地区はかつて入り江となっており、弥生時代には既に集落があったとみなされている。またすぐそばには下総国の国府があり、古来より行き交う船の停泊地として栄えた。

この土地は入り江と共に砂州が広がっていた。そこを往来するには橋が必要となるので、掛けられたのが真間の継橋である。“継橋”という名は、砂州と砂州を繋ぐようにいくつもの橋が渡され、それを1つの橋と見たことから付けられたという。この橋は真間の象徴として『万葉集』にも詠まれており、歌枕として知られた存在であった。

現在、継橋は弘法寺の参道の途中にわずか数メートルの長さだけ架けられている。しかも橋の下には川は流れておらず、かつて存在した橋の痕跡だけを記憶させるモニュメントとなっている。橋のそばには万葉集の歌碑があり、歌枕ゆかりの場所として保存されている。

<用語解説>
◆真間
“崖”や“傾斜地”を意味する言葉が真間であり、下総国の国府のあった国府台から見ると、真間地区はかなりの低地にあたる。真間には継橋以外にも、弘法寺の紅葉や“真間の手児奈”の伝説など、有名なものが存在する。また、上田秋成の『雨月物語』の中にある“浅茅が宿”の舞台ともなっている。

アクセス:千葉県市川市真間