緒絶橋

【おだえばし】

緒絶橋は『万葉集』にもその名が記されている、陸奥国の歌枕である。

この大崎の地は古来よりたびたび川が氾濫し、そのたびに川の流れが大きく変わった。そのために以前の川筋が切れてしまい、あたかも流れを失った川のようになることがあった。このように川としての命脈が切れたものを“緒絶川(命の絶えた川)”と呼び、その川筋に架けられた橋ということで「緒絶橋」と名付けられたとされる。

しかしそれ以外にも“緒絶”の由来とされる伝承がある。嵯峨天皇の皇子が東征のために陸奥国へ赴いたが、その恋人であった白玉姫は余りの恋しさに皇子の後を追うように陸奥へ向かった。ところがこの地に辿り着いてみたが、皇子の行方は掴めない。意気消沈した姫はそのまま川に身投げをして亡くなってしまった。土地の者は、姫の悲恋を哀れんで“姫が命(玉の緒)を絶った川”という意味で緒絶川と呼ぶようになったという。

歌枕としての緒絶橋は、白玉姫の伝承をあやかって“悲恋”や“叶わぬ恋”を暗示するものとなっている。最も有名な歌は、藤原道雅の「みちのくの をだえの橋や 是ならん ふみみふまずみ こころまどはす」という悲恋の内容である。また松尾芭蕉がこの地を訪れようとしたが、姉歯の松同様、道を誤って辿り着けなかったことが『奥の細道』に記されている。

<用語解説>
◆藤原道雅
992-1054。中古三十六歌仙の一人。祖父は摂関を務めた藤原道隆であったが、藤原道長全盛の時代にあって、父・伊周と共に不遇の人生を送る。特に道雅は、三条天皇皇女の当子内親王との密通で勅勘される、花山法皇皇女の殺害に関わったとの噂など、醜聞が絶えなかった。
上の歌は、当子内親王への思いを歌ったもので「断ち切れてしまいそうな橋を渡ろうか渡るまいか(貴女からの文を見ようか見まいか)心が揺れる」という意。

アクセス:宮城県大崎市古川三日町