鹿島様
【かしまさま】
鹿島様は、大雑把に言えば、道祖神の一種である。ただ秋田県中南部の一帯を中心に見ることが出来るが、その他の地域では殆ど見られない、非常に特殊な“人形道祖神”ということになる。道祖神とみなされるのは、集落の境に置かれ、疫病などの災厄が集落に入ってこないように設けられているためである。
湯沢市岩崎地区には、現在3体の鹿島様がある。2体は岩崎八幡宮の本殿奥にあり(1体は雨ざらし、もう1体は小屋の中に安置されている)、残りの1体は国道に面した場所にある。いずれも大きさは3~4mで、大人の背丈の倍ぐらい。恐ろしげな木の面を付けており、藁で出来た胴体部分は鎧をまとったように見え、さらに大小2本の刀を帯びている。まさに武神のようである。そして2体には、道祖神の特徴である“男根”が付いている。
この特異な道祖神の謎を深めるのは、この神の名である「鹿島」という名称の由来である。武神のような姿から、この名は鹿島神宮の祭神である武甕槌神であるという説がかなり有力である。この推察からさらに、鹿島様の名前は江戸初期に常陸国から移封されてきた秋田藩・佐竹氏に関係があるという説がある(鹿島神宮は常陸国一之宮)。あるいは、同じ武甕槌神を祭神とする古四王神社との関連性も考えられる。
だがいずれも推測の域を出ず、どういう経緯で鹿島様が秋田の特定の地域で信仰の対象となったのかは、謎のままである。そして藁を使って集落の者が総出で毎年造り直して受け継がれてきた鹿島様は、人口減少のあおりを受けて徐々にその姿を消していっている。
<用語解説>
◆武甕槌神
『古事記』及び『日本書紀』に登場する神。「出雲国譲り」の際に、高天原の使者として大国主命に直談判を行い、さらに力比べを挑んできた息子の健御名方神を破って諏訪まで追い詰めたとされる。また国譲りの後に関東へ赴き、この地を平定したとされる。雷の神、剣の神、武神として信仰される。
◆古四王神社
崇神天皇の代に四道将軍として北陸に派遣された大彦命が、武甕槌神を祭神として祀ったのが始まりとされる。秋田県下に複数の古四王神社があり、古くから信仰されてきた神であると考えられる。
アクセス:秋田県湯沢市岩崎