蛇塚古墳
【へびづかこふん】
蛇塚古墳は京都府内最大の横穴式石室をもつ前方後円墳であるとされる。しかしながら現存するのは石室だけであり、あの鍵穴の形をした墳丘があるわけではない。もしあったとすると、その石室の大きさから長さ約75mほどはあったと推測されている。地図を見ると住宅に囲まれてしまっているが、その宅地が前方後円墳の形を残しており、その大きさは今でもある程度想像することが可能である。
むき出しになっている石室の大きさは全長約18m、玄室(遺体を安置する部屋)の床面積は約25.6㎡もあり、明日香村にある石舞台古墳とほぼ同じ規模である(全国第4位の大きさ)。この古墳のある太秦は、渡来人を祖に持つ秦氏の拠点であり、この古墳も秦氏の首長のものであると推測されている。造られた時代から、秦氏最盛期の首長である秦河勝の墓ではないかとも言われている。
“蛇塚”という名であるが、古来よりこの玄室に多くの蛇が住んでいたという言い伝えから、そのような名になったとされている。また後年、おしげという名の女賊がこの蛇塚を根城にし、三条通を行く旅人に狙って追い剥ぎをしていたという伝説も残されている。
<用語解説>
◆石舞台古墳
奈良県明日香村にある史跡。蘇我馬子(551?-626)の墓であると推断されている。
◆秦河勝
6世紀末から7世紀前半頃の人。聖徳太子の側近であったとされ、太秦に広隆寺を建築するなど、この地を本拠としていた。
アクセス:京都市右京区太秦面影町