夜叉ばあさんのムクノキ
【やすあばあさんのむくのき】
この寺田近辺では、国道24号線の一筋東側の道は奈良街道(大和街道)と呼ばれる古道であるが、嫁入り行列は通ってはいけないという伝承が残されている。それが“夜叉婆さん”にまつわる伝承である。
昔、寺田村の庄屋に娘がいた。年頃になったので他家に嫁いだが、離縁されて戻ってきた。庄屋の娘だから、また縁付いて余所へ嫁にもらわれるが、同じく離縁される。そうこうしているうちに、離縁されることが7度も続いた(あるいは13度とも)。よほどの悪縁なのだろうと、周囲の者もいつしか娘のことを“夜叉”と呼ぶようになった。娘は結局、観音堂の堂守となって一生を終えたとも、あるいは街道の四つ辻にある玉池に身投げして死んだとも言われる。それ以来、この四つ辻辺りを嫁入り行列が通ると縁付かないとされ、避けて通ることが習慣となったという。その習慣は戦前まで残っていたとの記録もある。
娘が離縁され続けた理由は、容貌というわけではなく、むしろ気が強くて男勝りだったためであると伝えられる。才走ったところがあったとか、当時の女性の美徳とされる慣習に従わなかったとか、型破りな性格が災いしたものであるらしい。
この“夜叉”と呼ばれた娘の墓と称する供養塔はこの四つ辻のそばに置かれ“夜叉塚”と呼ばれていたが、明治の初め頃に移転され、現在では寺田の共同墓地の中にある。しかし、平成の初め頃になって、この四つ辻のそばにある椋の木にある瘤が、見ようによっては老婆の顔に見えるという噂が広まり、いつしか四つ辻の“夜叉”伝説と結びついて「夜叉ばあさんのムクノキ」と呼ばれるようになる。そして平成13年(2001年)には城陽市の名木・古木に登録されるまでになった。この木自体が“夜叉”の伝説に関係あるわけではないが、この古い伝説を現代に甦らせ、新たな伝説を作り出すことになった好例である。
アクセス:京都府城陽市寺田