安倍晴明墓所

【あべのせいめいぼしょ】

稀代の陰陽師・安倍晴明の墓は複数ある。その力を利用されるのを恐れたために、本当の墓所がどこか判らないようにさせるのが目的だったとも言われている。しかし、さすがに現在はそのような負の利用を考える者もいないのか、“公式”の墓所が定められている。

場所は京都でも有数の観光地である嵐山。渡月橋から大堰川沿いに三条通を行き、小さな川の流れる小道へ折れ曲がる。ここまで来ると、観光地とは目と鼻の先だが、全く喧噪というものを感じなくなる。さらにその小道を奥へ行くと、長慶天皇陵の脇に墓所が見える(ちなみにこの長慶天皇であるが、安倍晴明とは全く関係のない、室町時代初期、南朝第3代の天皇である。しかもこの陵は昭和19年に長慶天皇ゆかりの天竜寺塔頭跡地にできたものである。従って陵よりも墓所の方が先にあったと考えられる。実際、この墓所は“晴明塚”として中世よりあったとされている)。

もともとこの土地は天竜寺の所領であったそうで、多分晴明の墓所も天竜寺の塔頭の1つにあったものと思われる。しかし、年月が経ち荒廃が進んだために、最終的にこの土地を晴明神社が譲り受けて“公式”の墓所と定めたのである。墓所に刻まれた年を見ると、昭和47年(1972年)のことのようである。かなり新しい。

<用語解説>
◆安倍晴明
921-1005。従四位下播磨守。陰陽道を極め、時の天皇や摂関家より信任が厚かった。死後間もなく屋敷跡は晴明神社になるなど、陰陽道による術によって神格化された。

◆京都の安倍晴明墓所
嵐山以外にも、五条河原の中州や鳥羽街道の竹藪も伝承されていたが、この2つの遺跡は全く痕跡もなくなっている。京都に残されたのはこの嵐山の墓所だけである。

アクセス:京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町