煙の宮 青海神社

【けむりのみや おうみじんじゃ】

崇徳上皇の遺体は白峯山で荼毘に付されたのであるが、さらにその時に怪異が起こった。今度は荼毘の時に出た煙が、山のふもとのある一ヶ所に溜まって動かなくなったのである。一説によると、その煙は輪を成し、その中に天皇尊号の文字が現れたとも伝わっている。また煙が消えた場所には上皇のお気に入りの玉があったともされる。その後、この地にも崇徳上皇の霊を慰める青海神社が建立され、【煙の宮】と呼ばれることになる(玉は社宝として保管されているらしい)。

このようにその死に際してとんでもない怪異を連続して起こした崇徳上皇の怨念は、ついには京都をたびたび戦禍に巻き込む源平の合戦を引き起こし、武家が公家を圧倒する世の中を生み出したとされる。つまり上皇の呪詛の言葉は見事に成就されたのである。

上皇の祟りは現在でも続いているのであろうか。それにまつわる一つの事実だけ紹介しておく。

昭和39年9月21日、この日崇徳天皇陵(白峯陵)で八百年御式年祭が執り行われたのであるが、その日の未明に近隣の林田小学校で不審火があり、校舎が全焼している。この林田小学校は、上皇が讃岐へ配流された時の最初の住まいとされた“雲井御所”のすぐそば。そして火事の直後には猛烈な雷雨があったとされる。

<用語解説>
◆崇徳上皇
1119-1164。第75代天皇。1156年の保元の乱により、讃岐に配流。以後、崩御まで帰京を許されなかった。御陵も坂出市内にあり、帰京を許されなかったため怨霊と化したと言われる。

アクセス:香川県坂出市青海町