延命院

【えんめいいん】

平将門の首は京都へ送られ、数々の伝説を残して、現在は東京の大手町の首塚にあるとされる。しかし将門の胴体は、戦没地とされる場所からそれほど遠くない場所に埋められているとされる。それが延命院にある胴塚である。

延命院の創建については不明な点もあるが、将門がこの地を支配した時期には伽藍が建てられたという。そしてそこに弟の将頼らが首なき胴体を運んできて埋めたという伝承になっている。

延命院の山号は“神田山”であるが、それは将門の“身体”を埋めた場所だから名が付いたという説がある。だが実際には、この付近一帯は相馬御厨として伊勢神宮へ寄進された荘園であることから“神田”とされたと思われる。また伊勢神宮ゆかりの土地であったために、墳墓は荒らされずに残されたとも言われる。

現在、胴塚は古墳として文化財指定を受けており、また塚の上から生えた榧の木は天然記念物となっている。そして東京にある将門塚(首塚)保存会より贈られた「南無阿弥陀仏」の刻まれた石塔婆が建っている。

<用語解説>
◆平将門
?-940。親族との土地争いから、朝廷に対して反旗を翻して「新皇」を名乗り、関東一円を一時的に支配した。朝敵として討ち取られるものの、関東一帯の守護神として崇敬を受ける。

◆相馬御厨
大治5年(1130年)に、千葉常重が領地の保全を目的に、伊勢神宮に寄進する。しかし直後から領有権に関して近隣豪族が干渉することとなる。

アクセス:茨城県坂東市神田山