いぶし晴明宝篋塔

【いぶしせいめいほうきょうとう】

この宝篋塔は言うまでもなく、安倍晴明にまつわる碑である(なお“いぶし”は“猪伏”と書き、この周辺の古名とか)。なぜこのような場所に晴明の碑、しかも宝篋塔という墓があるのか。この佐用町に残る言い伝えによると、晴明はある目的のためにこの地を訪れたとある。それは“蘆屋道満抹殺のため”というのである。

蘆屋道満といえば安倍晴明のライバルであり、藤原道長暗殺を頼まれたが、それを晴明によって見破られ、播磨国に追放された人物である。道満が追放された地がこの佐用町であり、追放後も道満は道長殺害の呪法を行っていたのである。そしてそれを察知した晴明が呪法を止めさせるためにこの地へ来たというのである。

作用にやってきた晴明はそこで道満と死闘を繰り広げたらしい。死闘といっても直接矛を交えるのではなく、あくまでも呪術による闘いである(ただし直接的に肉体を傷つけるようなものであったようだが)。そして両者はこの地に倒れ、いまだに対峙するように晴明塚と道満塚の二つがわずか数百メートルの位置関係で向き合っている。

いぶし晴明塚宝篋塔は、この周辺の人々にとってかなり重要な信仰対象になっているようである。毎年この場所で祭りが行われ、集落の人々は一晩中踊り明かしたらしい。また、この宝篋塔の脇には【晴明堂】という堂宇があり、地蔵などが置かれてある。

アクセス:兵庫県佐用郡佐用町甲大木谷