小姓ヶ淵

【こしょうがふち】

琵琶湖に注ぎ込む川の1つである日野川の支流に、佐久良川がある。この川には日本で最初の人魚の記録がある。『日本書紀』によると、推古天皇27年(619年)4月「蒲生河に物有り。その形人の如し」とあり、これが日本における人魚に関する最初の記録ということになる。そして佐久良川にある小姓ヶ淵には、さらに具体的な人魚にまつわる伝説が残されている。

ある年、田畑の水が干上がるほどの酷い大干魃が起こった。村人は蒲生河(今の佐久良川)から水を汲み上げて何とか作物を育てていたが、それもままならないほどであった。ところが、小姓ヶ淵だけは満々と水があり、底が見えるほど水を汲んでも翌日には元通りになっていて、村人はこの不思議な状況に感謝したのであった。

村の若者の一人がこの謎を探ろうと、夜中に小姓ヶ淵に来てみると、そこには3人の者の姿があった。それは小姓ヶ淵の近くの観音堂に住む尼僧に仕える、3兄妹の小姓であった。しかしよく見ると、彼らの姿は人間のようではなく、尾のようなもので水を掻い出して淵を満水にしていたのである。若者はこの不思議な光景について誰にも話をしなかったが、得体の知れないものがいるという噂は村中に広まっていった。そこで村人はその正体を確かめるために、夜中に淵へ行って投網をして一人を捕まえたのである。そして捕らえたものを見ると、それは人と魚のあわさった姿をした人魚だったのである。

その後、この人魚はミイラとされ、所有者を替えながら各地を転々とする。しかしある時、所有者に不幸が続けて起こったため、思うところがあって、このミイラを小姓ヶ淵に近い願成寺(がんじょうじ)に納めたという。以後、この人魚は願成寺にある(ただし現在は非公開)。

そして他の人魚についてもそれぞれ、佐久良川を遡った日野で殺されて人魚塚に葬られた、回国中の弘法大師に付いていき、高野山の麓の学文路苅萱堂にミイラとなって安置された(拝観可)、という結末になっている。現在、小姓ヶ淵に架かる橋のたもとには“人魚園”という小さな児童公園があり、小姓ヶ淵の伝説を記した石碑がある。

<用語解説>
◆願成寺
東近江市川合町にある、曹洞宗の寺院。聖徳太子の発願で建立されている。
願成寺の伝説によると、小姓ヶ淵の伝説に登場する尼僧はこの寺の庵に住む者であり、その許で働く小姓は一人だけであるとされている。そして、美しい尼僧に仕える身であったために村人からの嫉妬を受け、佐久良川あたりで姿を消すので、投網で捕らえてみると人魚であったということになっている。その後、ミイラとなって見世物にされていたが、縁あって願成寺に戻されたのだという。

アクセス:滋賀県東近江市蒲生寺町