犬走天満宮 徐福像
【いぬばしりてんまんぐう じょふくぞう】
秦の始皇帝に建言して日本へやって来たとされる徐福であるが、その渡来の地とされる場所は全国各地に点在する。その中でもとりわけ伝承が多く伝えられるのが佐賀県である。特に福岡県境の筑後川河口付近から佐賀市中心地を北上して金立山に至るエリアが有名であるが、一方で県西部にある武雄市周辺にも伝承の地がある。
武雄温泉の北西に位置する蓬莱山と、市の西部の有田町との県境にある黒髪山には、徐福が不老不死の仙薬を求めて来訪したとの伝説が残されている。そして若干の距離はあるが、蓬莱山の南西、黒髪山の南東に位置する山内町犬走には、徐福を祀った小社がある。
犬走天満宮は、その名の通り、菅原道真を祭神とする神社である。その境内には祠があり、そこには何体かの石像が安置されている。この祠は“徐福祠”と呼ばれ、その右端にある古びた石像が徐福の像であるとされている。実際、その台石部分には“除副社”と刻まれており、徐福を祀ったものであることは間違いないと言える。ただこの犬走の地と徐福がどのような関係にあったのか、あるいは何故徐福が神として祀られるようになったのかは全くの不明である。
<用語解説>
◆徐福
『史記』巻六「秦始皇本紀」および巻百十八「淮南衡山列伝」によると、徐福(徐市)は秦の時代の方士であり、始皇帝に不老不死の仙薬を神仙の住む島(日本)に自らが取りに行くことを建言し、3000人の若い男女や五穀の種・工具類などを積載した船に乗り込み、その後戻ってこなかったとの記録が残る。日本ではその活動が不明であるため伝説上の人物とされている。
アクセス:佐賀県武雄市山内町犬走