新井崎神社

【にいざきじんじゃ】

秦の始皇帝の命により【蓬莱】の地を探索した徐福であるが、日本各地にはその徐福が上陸し、滞在したとされる土地がいくつもある。伊根町にある新井崎という小さな漁村にも、徐福上陸の伝説が残されている。

元来、丹後地方には大和朝廷とは全く系統の異なる独立したクニが存在し、中国大陸などとも交易をしていたのではないかと考えられている。従って、この丹後の地に徐福一行がたどり着く可能性は低くない。

海に面する位置に建てられた新井崎神社には、徐福が祭神として祀られている。伝承によると、漂着した徐福一行はこの土地に定住し、さまざまな産業技術を地元に人間に教えたとされる。つまりこの地域の国造りに大いに貢献したことによって、産土神として祀られることとなったようである。またこの新井崎の沖合にある沓島と冠島の名は、神仙思想における死の象徴を意味しており、おそらくそれなりの身分の者がここで亡くなったことを意味するのであると推測出来る。

新井崎神社のすぐそばには、徐福が上陸した際に休んだとされる岩場がある。またそこから船が着いたとされる場所が臨めるのだが、その場所は断崖絶壁であり、常識的に考えて大人数を乗せた船が接岸できるようなところではないように感じた。想像を逞しくすると、この土地へ漂着した中国人は存在したが、徐福本人ではなく、彼の功績を知って同じ目的でやった来た別人であった可能性もあるだろう。ただ最終的に、この地へ渡来してきた人物は産業を伝え、神と称せられる存在となったことは間違いない。

<用語解説>
◆徐福
『史記列伝』によると、徐福は秦の始皇帝に対して「東方にある蓬莱に不老不死の霊薬がある」と具申し、それを取りに行くことを命ぜられる。その出発の際に、若い男女3000人、数多くの技術者、五穀の種を持って出た。しかし、出発した後は帰還することはなかったとされる。ただし『史記本記』では、始皇帝に具申して金品を賜った後、それを着服して渡海はしなかったという、ペテン師扱いとなっている。

◆沓と冠の意味
道教の「尸解仙」という考えでは、死に際して沓と冠を残して地上より消滅して仙人になるという。この思想を反映して沓島・冠島の名は付けられたと考えてよい。なお、冠島は別名「常世島」あるいは「竜宮島」と言われており、死にまつわる聖地であったとも考えられる。
なお、沓島は大本教が明治期に渡島し、宗教的儀式をおこなっている。また冠島はオオミズナギドリ繁殖地として全域が天然記念物となっている。どちらも原則的に渡島できない。

アクセス:京都府与謝郡伊根町新井