面塚

【めんづか】

結崎面塚公園として整備された一角にある塚である。

室町時代の初め頃、この地に結崎清次(ゆうざき・きよつぐ)という猿楽師がいた。当時、大和には“大和四座”という猿楽をおこなう座があり、清次はその1つの結崎座を率いていた。

ある時、京都で御前演奏がおこなわれ、清次もそれに出ることになった。そこで成功を祈願して、近隣の糸井神社へ日参したところ、不思議な夢を見た。天から翁の面と一束のネギが降ってくる夢である。そこで夢に見た場所へ行ってみると、実際に面とネギが落ちていた。奇瑞であると思った清次は、御前演奏でその面をつけて舞をしたところ、大いにお褒めの言葉をあずかったという。また一緒に落ちていたネギはこの地で栽培されるようになり、“結崎ねぶか”の名で特産物となった。

この結崎清次こそが、後に観世座を興し、足利義満の庇護の下で能楽を大成した観阿弥清次その人である。この縁で昭和11年(1936年)に面塚の隣に「観世発祥之地」の碑が建てられている。

また一説によると、天から翁の面とネギ一束が降ってきたのを村人が見つけ、面を埋めたところが面塚であるという伝承も残っている。

<用語解説>
◆大和四座
大和猿楽を代表する4つの座。それぞれ能楽の名家へと発展していく。結崎(後の観世)、外山(後の宝生)、円満井(後の金春)、坂戸(後の金剛)。

◆観阿弥
1333-1384。大和四座の結崎座で活躍した後に京都に進出し、足利義満をはじめ上流階級の者の支持を得る。猿楽に加え、当時流行した田楽などの要素を取り入れ、能楽を大成したとされる。実子の世阿弥はこの結崎の地で生まれたと考えられている。

アクセス:奈良県磯城郡川西町結崎