八百比丘尼の墓
【やおびくにのはか】
八百比丘尼の伝承は全国各地に点在しているが、その中心は何と言っても若狭国の小浜になる。各地の伝承でも、当地出身の少女が不老不死となり最後は小浜で入定した、または小浜で出身の不老不死の尼が諸国を巡り当地で入定したというパターンで語られることが大半である。そして小浜の八百比丘尼伝説と言えば、市街にある空印寺がその伝説の拠点となっている。あるいは空印寺の裏山の一角にある八百姫神社に庵を開いて暮らしていたとの伝承が残されている。しかし小浜にはその2ヶ所以外に第3の八百比丘尼伝説が残されている。
奈良東大寺のお水取り行事で有名な遠敷郡鵜の瀬近辺が、八百比丘尼の出身地であるという伝説が残されている。伝承によると、第21代雄略天皇の時代、この地に住んでいた道満という者に娘が生まれた。その娘はいつまで経っても無病長寿のまま生き続け、ついにはその年齢を知る者がいなくなってしまったが、ある時、自分が800歳の長寿を保っていることを人々に告げたという。そして明徳元年(1390年)に青井白玉椿(八百姫神社あたり)で亡くなったという。
しかし一説では、尼はこの生まれ故郷で亡くなったとされる。長らく生きて欲をなくした比丘尼は仏縁を求め、「自分を棺に入れて埋めて欲しい。ずっと鉦を叩き続けているので、その音を聞くための空気穴となる竹を1本挿し込んでおいて欲しい。そして音が聞こえなくなったら死んだものとしてくれ」と家人に頼んで入定したという。
県道35号線を鵜の瀬からさらに上流へ500mばかり進んだところで、小さな橋を渡る。その橋のたもとに、ごく普通の家が建っている。その敷地に寄り添うようにあるのが、八百比丘尼の墓である。何の案内板もなく、家の奥まったところにぽつねんと置かれている。これと同じ集落に八百比丘尼の生家の屋敷跡があるとされるが、既に田んぼとなっており、確かめる術はなかった。
<用語解説>
◆鵜の瀬
毎年3月2日に奈良東大寺のお水取り行事に先立って「お水送り」行事がおこなわれる。この地から送られる“御香水”が10日かけて東大寺二月堂の若狭井に湧き出すとされる。
アクセス:福井県小浜市下根来