小野小町の墓
【おののこまちのはか】
京から淀川を下り渡辺津(八軒家浜)で下船すると、ここからが熊野古道紀伊路の始まりである。摂津から河内・和泉を通って紀伊に入り、熊野本宮まで続くこの街道には「九十九王子」と呼ばれる小社が点在している。その中の一社、紀伊国に入って2つ目の王子が山口王子である。この王子のすぐ近くに小野小町の墓と称するものがある。
『紀伊国名所図会』によると、年老いた小野小町が熊野参詣の帰途、この地で病を得て亡くなった。そこで村人が憐れに思い、この地に小町堂という庵を設けて小町を祀り、その後白鳥山小町寺という寺院となって多くの参拝者があったとされるが、明治時代に廃寺となっている。
山口王子跡から和歌山方面に若干歩いた左手に、小高くなった場所がある。その奥へ畦道のようなところを進んでいくと、何基かの墓がある更地にたどり着く。そこがかつての小町寺の跡のようで、更地の中央にぽつんと“小町堂”と刻まれた石碑が立っている。その奥にある墓群の中で、唯一卵形の小さな墓がある。これが小野小町の墓と呼ばれるものである。墓には“宝暦十一巳 迎空了雲沙弥 正月十日”と刻まれているらしいが、もう肉眼では全てを確かめることは叶わなかった。
<用語解説>
◆小野小町
平安時代初期の歌人。六歌仙の一人に数えられる。小野篁(802-853)の孫とされるが、不明な点が多い。また出生地についても東北から九州まで複数の説があり、墓所と称する場所も全国各地にあるなど、数多くの伝説が残されている。
アクセス:和歌山県和歌山市湯屋谷