千代鶴神社
【ちよづるじんじゃ】
千代鶴神社は大正11年(1922年)に創建された比較的新しい神社であるが、その伝承の始まりは700年ほど前まで遡ることが出来る。
祭神は千代鶴国安という刀匠である。国安は元は京都の人で、粟田口あたりにあった来派の刀鍛冶の弟子であったとされる。この国安が越前国に居を構えるようになったのは、鍛冶に適した水を求めてのことだったとされる。伝承では、越前国にやって来たのは元弘3年(1333年)19歳の時であった(あるいは延元2年(1337年)とも)。国府に赴いた国安は、やがて最良の水場を得ることが出来た。それが現在の千代鶴神社の境内にある“鶴千代の池”である(当時は日庭寺という寺院の境内であった井戸らしい)。そして国府に居を構え、“鶴千代”を名乗る刀匠一派が何代か続いたという。
鶴千代派の祖となった国安であるが、後に神格化され祀られるようになったのは、刀鍛冶のかたわら里の者の求めに応じて鍛えた鎌の縁である。京の名刀匠の弟子であった者が打つ鎌は当然切れ味も良く、たちまち評判となった。そしてその作り方は国府一帯に広まり、後年“越前の鎌”は福井藩の特産物として全国に知られるようになったのである。現在でも“越前打刃物”の名で経済産業省指定の伝統的工芸品としてその技術は継承されている。
伝承によると、国安は出来の良い刀が仕上がると、武運長久あるいは鎮魂のために砥石で自作の狛犬を作って千代鶴の池に沈めていたとされる。実際、昭和7年(1932年)にこの池の底をさらった時に、十数体の狛犬像と一振りの刀が発見されている。
<用語解説>
◆千代鶴国安作の名刀
国安を含む千代鶴派の刀は現存する物が非常に少ないとされる。現在、国安作の名刀として最も有名なのは、名古屋の熱田神宮に奉納されている「次郎太刀」である。刃長170cmにもなる大太刀であるが、越前朝倉氏の武将・真柄隆基所有の一振りとされた(父である真柄直隆がさらに長い「太郎太刀」を所有)。隆基は元亀元年(1570年)の姉川の戦いで父と共に討ち死にし、同年に熊若夫婦によって熱田神宮に奉納されたと記録される。なお次郎太刀は無銘であるが、名古屋にある研ぎ師の名家・木屋家によって国安作と極められた。
アクセス:福井県越前市京町