清水神社 甕塚

【しみずじんじゃ かめづか】

祭神は、景行天皇の皇子である神櫛王とする。そして社伝では、この神櫛王の子孫が12口の甕を納めたとある。この甕を祀ったのが甕塚である。

承和8年(841年)に大干魃が起こった際、僧・真雅がこの奉納された甕を用いて雨乞いをおこない、見事に雨を降らせたという。この時以来、清水神社では雨乞いの際には甕を用いることとなった。しかし天正年間(1573~1592年)の長宗我部氏の讃岐侵攻によって、12口の甕のうち3口を残して焼失してしまった。さらに残った3口のうちの1口が災害によって破損してしまったため、村人は残された2口の甕を塚に埋め、破損したものは本殿下に埋めたのである。そして雨乞いの際に、甕を取り出して使用したとされる。

甕を使った雨乞いは変わっており、近くにある3箇所の御神水を汲んでくると、その水で甕を洗うのである。すると必ず雨が降るとされる。その霊験はあらたかであり、高松藩では他の寺社で雨乞い祈祷をしても雨が降らない場合に、清水神社に雨乞い祈願をしている。とっておきであるのは、それだけ効果覿面であるのと同時に、この甕を洗う神事をおこなった者は必ず死ぬという言い伝えがあるためである。社伝によると、それでも過去14回の雨乞いがおこなわれている。

平成24年(2012年)、73年ぶりに甕塚から甕が掘り出された。2つの甕は既に割れていたが、復元作業をした結果、7世紀頃に作られた須恵器で高さ約1m、最大胴回りも1mもあるかなり巨大な甕であることが判明した。そして宮司の手で雨乞い神事が執りおこなわれた後に、甕は再び甕塚へ埋め戻されている。

<用語解説>
◆神櫛王
景行天皇の皇子とされるが、記紀でも名が残るだけである。『古事記』では同母兄に日本武尊がいるとされる。また『日本書紀』では讃岐国造の祖として記載されている。
なお讃岐地方に伝わる讃留霊王は、神櫛王と同一人物であるともされる。

◆真雅
801-879。讃岐国出身。空海の十大弟子の一人であり、実弟でもある。承和8年の頃は、飛鳥の大寺である川原寺の別当に就任している。

アクセス:香川県高松市由良町